物部守屋と尹良親王の物語
ビジネスプロデューサーで「加速成功」など、ベストセラー作家でもある道幸武久先生と、にんげんクラブの船井勝仁先生のシークレットコラボセミナーを伊那で開催いたしました。
セミナーの内容についてはこの場では割愛させていただきますのが、翌日講師の先生方と一緒に巡った伊那谷のミニツアーが素晴らしい体験でした。
尹良親王(ゆきよししんのう)の墓
以前に道幸先生に伊那に来た際にどこに行きたいかをお聞きしたところ、後醍醐天皇の孫の尹良親王の墓があるからそこに行きたいとのことでした。
後醍醐天皇の子であり南朝の征夷大将軍にもなった宗良親王(むねよししんのう)の墓地と言われる場所が伊那の高遠や長谷にあるということは知っていました。
しかし、尹良親王を知らず、ましてやその墓地が伊那にあるということを聞いたことがなかったのですが、調べてみると下伊那の阿智村にあることがわかりました。
同じ伊那谷といっても、伊那市を中心とする上伊那地域と飯田市を中心とする下伊那地域は互いに行き来する機会も少ないく、一般道で愛知に行く時に通過したことはあっても、目的地として阿智村にいったのは初めてでした。
そして驚くことにそこは宮内庁の管理下にある陵墓でした。隣接して尹良親王を祀る神社や巨大な石碑などもあり、みんなで参拝すると倒幕の道半ばにして山あいで討ち死にした無念さを感じました。
入野谷在来
お昼は伊那に戻り、高遠でそば。人気店のますやさんは平日にもかかわらずGOTOトラベルの影響もあってか、順番待ちでした。
高遠蕎麦はそばつゆに焼き味噌を溶き、薬味は辛味大根というのが特徴ですが、ここでは打ち方や挽き方の違う何種類かの蕎麦を食べ比べることができます。
なかでも珍しいのが、戦前に絶滅したかと思われていた地元在来種を約10年の年月をかけて復活させ”入野谷在来”と名付けられた蕎麦。
私も初めて食べたのですが、噂どおり香りが強くいかにも”在来種”という力強さを感じる蕎麦でした。
物部守屋神社
午後の目的地は、高遠から諏訪大社上社のある茅野市に抜ける国道152号線の杖突峠手前にある、物部守屋神社です。
国道とはいえ山道の途中にひっそりとたたずむ神社は氏子である片倉というこの集落の人以外には市民にもほとんど知られていないと思います。
古墳時代に大陸から伝わった仏教を巡って国を揺るがす争いとなった、崇仏派の蘇我馬子に対して国神を尊ぶ排物派が物部守屋です。
神道研究家でもある道幸先生は、国神(神道)を異国の神(仏教)から守ろうとした物部守屋を祀る神社を参拝して鎮魂したいということで、午後のメインは諏訪大社ではなく、こちらの小さな神社となりました。
驚きのエピローグ
参拝を終え、現地で解散して先生たちは峠を越えて帰京のしたのですが、物語はそこで終わりませんでした。
会社に帰るとそこには「守屋」という姓の、先代からのお付き合いのあるお客様が来社されていました。先ほどの氏子集落に生家があります。
依頼されている仕事の打ち合わせをした後に守屋家と神社の由来をご存知かお伺いすると、大阪で戦いに敗れた守屋一族は半分が岡山に逃れ、半分が茅野を回ってあの地に落ちのびたのだ伝えられているとのことでした。
今回の参加者で地元以外でグループで参加していたのが岡山と名古屋のグループだったのです。尾張一宮の真清田神社に祀られているのは物部氏の始祖である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
ただの偶然といえばそれまでですが、参拝したメンバーは物部守屋に呼ばれてあつまったのだと80歳の守屋さんの口を通じて伝えられたように感じました。
終焉の地から新たな出発の地に
以前にも、伊那は流刑の地ということを書いたことがありますが、今回あらためて、南北朝、蘇我物部といった国を二分するような争いで敗れた側がたどり着いた先だったということを知りました。
「敗者の郎等や末裔はその地で細々と幸せに暮らしましたとさ」も悪くはありませんが、「この地を出発の地として新しい渦を巻きおこしました」というのはより楽しいので、移住二地域居住でイノベーションを起こしたいと思います。
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会津地方(福島県)も蕎麦が盛んで、多くの蕎麦屋さんに高遠蕎麦のメニューがあります。本場の高遠蕎麦、それも在来の蕎麦粉を使用されているというお話ですので、リンクを貼ってご紹介させていただきました。
https://www.r2fish.com/index/2020/09/27/takato-soba/
Rさま、コメントとご紹介ありがとうございます。保科公のご縁で伊那市と会津若松市は親善交流を締結していますね。
私もそう思いますし、そう言ってもらえると嬉しいです。会津の蕎麦屋に高遠蕎麦ってメニューにはあるけど、高遠って何と思って調べて以来、伊那をとても身近に感じていて、この記事を読んだ時には是非、紹介せねばと思いました(^^)/
会津に蕎麦を食べに来る人も多いのですが、伊那市との縁も多くの人に知ってもらいたいと思っています。見過ごさずリンクできて幸いです。
https://www.inacity.jp/smph/shinoshokai/ina_shokai/yukodantai/yukodantai.html
実際、締結されてるんです。会津は全国的に知らない人はいませんが、高遠はマイナーですからね(笑)サクラは“天下第一の桜”と呼ばれています。是非遊びに来て下さい!
調べたら会津若松市のサイトにも親善交流都市として案内されていました、教えていただいてありがとうございます。会津の人はみんな(大抵は)蕎麦屋さんにメニューがあるので「高遠」って言葉には馴染みがあります(^^)/
でも高遠藩が由来とは知らない人は多いのでもっと知ってもらいたいと思っている昨今。
桜ですか、いいですね、桜を見ると気持ちが明るくなりますから。元祖 高遠蕎麦ツアーをいつか!と思います。
ちなみに、GoToトラベルか何かの申請で、「会津」ってどんな字書くの?って言われたとかでつれあいが切れてました。市町村は山のようにあるのでそんなものだと慰めました。「伊那」とかも難しそうですね(^^;/