よそ者、わか者、ばか者
地方創生、地域活性化には、”よそ者、わか者、ばか者”が活躍している、活躍できる環境を作る必要がある。なんてことがよく言われます。
”よそ者、わか者、ばか者”というのは、固定概念や過去の因習にとらわれず積極的に行動し変革を起こしていく人材をあらわしているのだと思います。
しかし、田舎ではその逆をいく、地元に育った人、年配者、真面目な人とあまりにギャップが激しすぎると理解をされずに、溝や摩擦が生まれたり潰されてしまうこともあります。
どろんこサッカー
昨日、どろんこサッカーの大会、”どろカップ”が開催されました。主催したのは伊那商工会議所青年部。私も数年前に45歳定年で卒業しましたが、10年ほど部員として活動していました。
メンバー達は地元出身で家業や独立して事業をしている経営者や後継者がほとんど。自分たちも地域の人も楽しめるイベントを開催するにも無駄なあつれきを産むようなことはしません。
それでも、わか者、ばか者のパワーは全開で補助金のようなものに頼るわけでもなく、地元を盛り上げるようにと、こんなバカなイベントを真剣に開催しています。
よそ者と地元民の仲介者
私自身は愛知出身で、”よそ者”という意識もあり、移住者など県外出身者の知人友人も多くいます。
そんな知人友人が様々な面白い活動をしていても、地元出身者や地域の人にはあまりそれが伝わっていなかったり、意識のギャップが生まれていることを感じることがあります。
それは私の伊那での暮らしも20年になり、商工会議所や不動産業の組合、町内会など地元の組織やPTAなどを通じ地元で育った人に近い感覚が良くも悪くも身についてきているところがあるからだと思います。
どちらとも深く関わる機会の多い私は、”よそ者”と”地元民”とを仲介し、良いきっかけを作り、繋いで、ギャップを埋めることが出来る。その役割を果たしていきたいと思います。
よそ者という言葉に良い意味を
地元に生まれ育ったわか者が楽しくバカになってまちを元気にしていくのはもちろんですが、そこによそから別の経験をしてきた人が加わるのは間違いなく良い化学変化をもたらします。
それなのに、”よそ者”の立場は弱く不安定なところにあるように思います。珍しいのでニュースや話題に取り上げられることはあっても一時的なことだったり、遠巻きにされるだけだったり。
”わか者”はもちろんのこと、”ばか者”にもどこかポジティブな響も感じられるのですが、”よそ者”には今のところそれが感じられません。
”よそ者”という言葉が、よそよししい他人ではなく、新しい風をもたらす人という意味に誰もが思うようになったら地方は変わっていくでしょう。
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